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スポーツのトレーニング手法は日々進化しています。
私の学生時代の部活動は、全国大会にも出るような学校でしたので朝夕の練習に加えて夜にはさらに強化練習があるという、文字通り朝から晩まで練習漬けの毎日でした。当時はスポーツ漫画でも、寝る間を惜しんで猛特訓するというのが当たり前の描写だったように思います。しかし、今では短い時間で集中して練習に取り組むのが効率的とされるようになり、長時間の練習は時代遅れになりつつあるようです。

また、最近ではデータを活用した練習・育成というのも当たり前になってきています。米国のメジャーリーグでは、優勝するのに必要な能力を統計的に調べてそれに沿ってチーム作りをすれば、スカウトに大金を掛けられない球団でも上位争いができるようになる、というセイバーメトリクスが2000年代に話題になりました。そして、今でもフライボール理論や回転数理論などの新しい考え方が生まれ続けていますし、メジャー屈指の先発投手であるトレバー・バウアーを生み出したデータやテクノロジーを活用した育成手法の開発など、日々長足の進歩が起きています。

今回のトライツブログは冬季オリンピックの開幕にちなんで、オリンピック選手のトレーニング方法からB2B営業育成のヒントを学びたいと思います。アスリートの中でも傑出した存在であるオリンピック選手は何を意識して練習しているのか、その中に私たちでも活用できるヒントがあるのか、早速学んでいきましょう。

調査結果①パフォーマンス向上を阻む「自動化」と「コンフォートゾーン」

今回ご紹介するのは、B2B営業人材の育成で有名なVantagePoint Performance社の創業者であるミッシェル・ヴァザーナ氏の最近のレポート「What Can Salespeople Learn from the Expertise of Olympians?」(オリンピック選手から学ぶ営業担当者のトレーニング手法)。まずは、なぜ普段の業務経験を積み重ねるだけでは不十分でトレーニングが必要となるのか、スポーツトレーニングを専門とするフロリダ州立大学心理学部の教授、アンダース・エリクソン博士のコメントから見ていきましょう。

新しい技術やスポーツを学ぶとき、初期段階ではミスを減らしていくことに取り組みます。そして、経験を積み重ねるほど、ミスは少なくなっていきます。しかし、初期段階を過ぎるとそれぞれの動作が自動化されてしまい、よく考えずともあるレベルでは実行できるようになります。

しかし、自動化された動作の経験を重ねても、パフォーマンスの向上にはつながりません。そのため、経験期間と専門能力との相関は非常に低くなっています。パフォーマンスを向上させるためには、個人が何も考えずに自動的に実行できる快適な領域(コンフォートゾーン)から一歩外に出て、高いレベルに挑戦する計画的・意図的なトレーニングが必要なのです。

これは皆さんも思い当たる節があるのではないでしょうか。スポーツでも営業でも、経験を積み重ねていくことでヘマやミスをすることはなくなっていきます。しかし、経験を積んだからといって全員が突き抜けた成績を残せるようになるということはありません。経験年数は増えていくものの、スキルや実績がほぼ伸びない停滞期に突入してしまうのです。

調査結果②計画的・意図的なトレーニングとは

では、その停滞期から脱却してパフォーマンスの向上を実現する「計画的・意図的なトレーニング」とは何でしょうか。レポートの続きを見ていきます。

オリンピック選手が実施している計画的・意図的なトレーニングは、「コンフォートゾーンから抜け出す」→「明確で具体的なゴールを設定する」→「そのゴールに的を絞ってトレーニングする」→「フィードバックを受ける」というものです。そして、コーチは継続してパフォーマンスが向上するよう、トレーニングのメニューを体系的に設計します。継続的に課題が増えていくようにトレーニング・メニューを設計することで、長期的なパフォーマンス向上を実現するのです。

つまり、コンフォートゾーンから抜け出さざるを得ないような課題を意図的に設定し、その課題に焦点を絞って練習する、というのがここで言う「計画的・意図的なトレーニング」です。思い返せば確かに、部活動の練習でも「今日のテーマはこれ!」と毎回テーマを決めて練習していました。しかし、社会人となって仕事をしていると、ついついスキルアップよりも短時間で処理することの方に重点を置いてしまい、ミスの起きないコンフォートゾーンの仕事ばかりをしてしまいがちです。そこから一歩踏み出さざるを得ない課題を意図的に設定するというのは、長期的なスキル向上・パフォーマンス向上の観点で、確かに重要なことだと思います。

調査結果③オリンピック選手のトレーニング方法は、セールスイネーブルメントそのもの

レポートの最後にヴァザーナ氏は、このオリンピック選手の「計画的・意図的なトレーニング」を、B2B営業育成に置き換えています。

エリクソン博士の研究結果と、VantagePoint社で実施した高成績の営業担当者についての研究に基づいた、営業マネージャーによる効果的な営業担当者の育成方法は以下のとおりです。
・最高の営業パフォーマンスにつながる具体的な行動を特定する
・その行動に焦点を絞った研修を開発・実施する
・定められた基準に照らして受講者のパフォーマンスを確認する
・フィードバックを提供し、パフォーマンスの向上に合わせてより難しい課題を設定する
これは、従来型の単発の研修ではなく、データをもとに長期的・計画的に育成する「セールスイネーブルメント」そのものです。

というわけで、今B2B営業で話題になっているセールスイネーブルメント型の人材育成は、オリンピック選手のトレーニング方法そのものなのだ、というのがこのレポートの結論です。上手いこと話を持っていかれたような気もしますが、コンフォートゾーンから抜け出さざるを得ないような課題を意図的に設定し、その課題に焦点を絞って練習することで、B2B営業のパフォーマンスも向上することを教えてくれる、価値のあるレポートではないでしょうか。

大前提:営業担当者の育成は営業マネージャーの大事な仕事

このレポートは、「計画的・意図的なトレーニング」を具体化したという以外に、もう1つ私たちに大事なことを教えようとしています。それは、この記事の中には明言されていないものの大前提となっている、「営業マネージャー自らが、各営業担当者の育成プランを考え、研修/OJTやコーチングを開発・実施しなければならない」ということです。このレポートの中には、営業マネージャーと営業担当者しか出てこず、人事部や人材開発室、研修会社は一回も登場しません。営業担当者の育成は営業マネージャーの大事な仕事なのです。

しかし、このことが当たり前に実践されている日本企業は極めてまれです。育成は大事だと言いつつも、自ら研修を開発したり講師役を買って出ることもなく、人事部などが実施する研修に送り出すのを渋ってしまう営業マネージャーがまだまだ多いように感じます。

先日発表された「働きがいのある企業ランキング2022」で、「充実した研修体制」を理由に上位にランクインした企業では、営業や営業企画の部長や本部長自らが半年に一度以上のペースで研修を設計・開発し、講師役となって営業担当者やリーダー/マネージャーに対して研修を実施しています。そして、営業現場ではマネージャー自らが講師役となって毎月勉強会を実施していますし、上司と部下との間の週30分のコーチング面談は組織文化になっています。

さすがにこれをすべての営業組織が取り入れるべきだとは思いませんが、日本のB2B営業組織でも営業マネージャー自らが各営業担当者の育成・成長に責任を持って定常業務化することが可能だ、という一例として参考になるのではないでしょうか。

人材を育てるなら、自ら学び続けていないといけない

今回ご紹介した記事の大前提である、「営業マネージャーが営業担当者の育成に積極的に取り組む」ということを実行しようとした場合、もう1つ大事なことがあります。それは、新しい手法やテクノロジーの活用などについて、コーチ役である営業マネージャー自身が学ばなければならない、ということです。ジェラード・イーガンという心理学者の本「カウンセリング・テキスト」に次のような一節があります。

自分の価値観に基づいて十分に生きようと一生懸命になっている人だけが、他の人を促進(注:コーチングの意)する資格がある。カウンセラーが自分自身を知的にも、社会的にも、精神的にも切磋琢磨していないのならば、クライアントを促進してはならない。

この言葉はコンサルタントとして仕事をする上での自省として、私のメモ帳の中に記しているものです。イーガン氏の原則はカウンセラーとクライアントだけに限らず、教える側と教えられる側、コーチと対象者、そして育成に取り組む営業マネージャーと営業担当者の関係にも当てはまると私は思います。部下やメンバーの育成計画を考え、それに取り組むためには、営業マネージャー自らも学び続けていなければならないのです。

参考:「What Can Salespeople Learn from the Expertise of Olympians?」(Michelle Vazzana, VantagePoint Performance., Personal Selling Power, Inc., )