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英語で「5P」と呼ばれる言い回しがあります。これは「Proper Preparation Prevents Poor Performance.」というPで始まる5つの単語の文で、日本語にすると「適切な準備がひどいパフォーマンスを防ぐ」という意味。これをアレンジした6Pや7Pなども有名ですので、そちらをご存じの方もいらっしゃるかもしれません。

他にも、ボーイスカウトの有名なモットーである「備えよ常に」や、子どもの頃に遊んだことわざかるたにもあった「備えあればうれいなし」など、準備の大事さを説く格言・標語が洋の東西を問わずあります。それだけ、何をするにつけても準備が大事であり、しかしついつい忘れてしまいがちだということなのでしょう。

今回のトライツブログでは、AIなどの最新のデジタルツールを活用して、営業担当者が顧客対応の「準備」ができているかを評価しようというコンセプト「セールス・レディネス(Sales Readiness)」についてご紹介します。セールス・レディネスとはどのようなものなのか、日本でも広まるのか、一緒に見ていきましょう。

多くの営業担当者は準備不足のまま商談をしている

セールス・レディネスの説明に入る前に、世の中の営業担当者はどれくらい準備ができた状態で顧客に会っているかのデータを見てみましょう。Forbes誌の記事「What Is Sales Readiness — And Why Should You Care?」の中に、以下のような一節があります。

多くの営業担当者は、顧客に関わる準備ができていないまま商談をしています。Forrester社の調査によると、企業の購買責任者は「営業担当者との10回の打合せのうち8回は時間の無駄である」と回答しています。

顧客がWebを使って手軽に様々な情報を集められる現在では、営業担当者が顧客と商談する機会はとても貴重なものなのに、8割というかなりの確率でその機会をふいにしてしまっている。この問題を解決しようというのがセールス・レディネスです。

セールス・レディネスとその重要性

それでは、セールス・レディネスとは具体的にどういうものなのか、B2B営業向け人材育成プラットフォームを開発・販売しているNytro社の記事「Effective sales readiness in 2022」から以下に要点を抜粋してご紹介します。

セールス・レディネスとは、顧客が購買プロセスの各段階を進むのに必要なスキル/知識を営業担当者に提供し、それらを効果的に活用できているかどうかを評価し、その結果に合わせて微調整すること。つまり、営業担当者が営業活動を開始できる状態にあるかを確認する取組です。

Nytro社の記事では続けて、セールス・レディネスが重要である理由を2つの観点から述べています。

セールス・レディネスを実施することで、新規採用者が一人で活動できるまでの期間の短縮、受注率や商談単価の改善による生産性の向上と効率化、顧客満足度の向上が期待できます。
また、営業マネージャーは、どの担当者が顧客の前に出る準備ができているか、どの担当者が追加の研修を必要としているか、そしてどのような内容の研修が必要なのかを、迅速かつ客観的に判断することができます。

客前に出て商談をできる状態になっているかどうかを客観的に把握するというのは、営業組織を率いるマネージャーにとって価値がありますし、無駄な商談の割合が大幅に下がって「御社の営業は優秀ですね」と顧客から言われるようになることを考えると、このセールス・レディネスが重要な取組だということは理解できます。

セールス・レディネスを実現するための6つの要素

続けて、セールス・レディネスの具体的な中身について見ていきましょう。Nytro社の記事では、以下の6つの要素が必要だとしています。

1. 営業活動のプレイブックと測定基準の整理
営業活動の成功基準と、顧客との関わり方のロードマップと実施する活動、その効果を測定するための指標を定義します。

2. 継続的な研修の実施
連続性がある一口サイズの研修コンテンツを定期的に提供します。

3. インパクトのあるコンテンツの準備

様々な顧客セグメントや、顧客の購買プロセスの各段階に適するコンテンツを作成・提供します。

4. アセスメントと分析の実施

研修内容の理解を測るためのクイズやテスト、実践的なスキル習得を図るためのロールプレイやデモンストレーションなどのアセスメントを行います。さらに、研修効果を把握するための、研修に対する受講者の反応、営業中の行動や会話、商談の成果などの分析を行います。

5. 定期的なフィードバックとコーチングの実施

実際の営業活動を観察し、個々の担当者に合わせた修正と最適化を行います。

6. 使いやすく高機能なテクノロジーの導入

営業担当者のパフォーマンスや研修方法の分析とインサイト(洞察)の抽出を自動的に行う、使いやすく高機能なプラットフォームが必要です。

6番目にちゃっかりNytro社の宣伝が入っていますが、セールス・レディネスがどういうものかが分かりやすくまとまっていると思います。ここで特に重要なのが4番目の「アセスメントと分析」と、それを可能にする6番目の「使いやすく高機能なテクノロジー」。この2つによってセールス・レディネスが単なるアイデアではなく、私たちでも実施可能な取組となりました。というのも、「研修で学んだ知識やスキルが身についているか、活用できているかを捕捉・評価しよう」という考えは、以前から存在していたものの実現することができなかった、人材育成の重要なテーマだったからです。

セールス・レディネスは今度こそ普及できるのか?

2000年代の半ばごろから、企業の人材育成において研修実施後に知識やスキルが本当に身についているかどうか、行動変容の度合を計測しようという動きが日本でも起きていました。しかし、特に営業担当者の場合は誰がどうやってそれを記録・計測するのか、という大きな壁がありました。研修の最後に行う理解度テストやロールプレイへのスコア評価は問題なくできるのですが、客先での商談中にレコーダーで録音したりビデオカメラを回したりするわけにもいかず、研修後の行動変容を測定できないままでした。

ところが、ここ数年の営業活動のデジタル化の進展によって、これらのことが可能になりました。コロナ禍でオンラインの商談が広まり、商談時の音声や映像データを記録・保管しやすくなりました。また、セールスエンゲージメントというメールや電話、ビデオ会議などの顧客接点データを一元管理してSFAと連携するツールの登場により、商談時の行動や会話を商談結果と組み合わせて分析できるようになりました。さらに、B2B営業市場でのAIの普及により、これらの分析を高速/リアルタイムで自動化できるようになっています。

つまり、もともとあった「研修で学んだ知識やスキルが身についているか、活用できているかを捕捉・評価する」というアイデアが、テクノロジーの進化によって簡単に実現できるようになったのが、セールス・レディネスなのです。

これは、家庭用のVRゲーム機の歴史とよく似ています。仮想現実の世界に入り込んでゲームをプレイできるようにしたいという狙いで、1990年前後にファミコンの3Dシステムやバーチャルボーイなどの機器が開発されました。しかし、画面がモノクロだったり、メモリ容量が少なくCPUの処理速度も遅かったので画質が粗かったりと、とても仮想現実とは言えないものだったので、どの機種も一部の愛好者にしか売れずじまいでした。あれから20年以上が経ち、テクノロジーの進化によって現実世界と見まがうほどのクオリティの画質やサウンドが実現し、あっという間に普及してゲームの一大市場となっています。

このVRゲーム機のように、技術的な限界のために広く普及できなかったかつてのアイデアが、最新のテクノロジーによって実用に耐えられる「セールス・レディネス」となって戻ってきました。そこで気になるのは、今度こそは市場に普及するのかどうかということです。

リモートでの商談が定着し、セールスエンゲージメントツールによって顧客接点の集約とSFAとの連携が進んでいる欧米のB2B市場では、必要な下地が整っているのできっと普及・定着することでしょう。しかし、リモートでの勤務・商談が定着するかどうかがまだ不安定で、セールスエンゲージメント・ツールの普及が遅れている日本市場では未知数だというのが、今のところの客観的な評価だと思います。これらの環境が整わないと、研修で学んだスキル・知識を現場で活用できているかを分析できず、再び絵に描いた餅で終わってしまう可能性があるのです。当面は海外の状況を見ながら、日本での普及の可能性を見極めていくことになると思います。

研修後の知識・スキル習得とその発揮までを改めて意識しよう

このセールス・レディネスをトライツの社内で共有した感想は、「目新しいものではないけど、それを新しいコンセプトとしてシステムに落とし込み、営業の生産性向上を追求する姿勢と実行力については大いに学ぶべき」というものでした。

現在日本でもリスキリングがブームになったり、人的資本情報の開示指針について政府主導で検討が始まるなど、企業における人材育成・開発の重要性が改めて認識されるようになっています。しかし、ついつい研修の受講者数やアンケート評価だけで満足してしまっていないでしょうか。行動変容まで追跡し、コーチングなどと組み合わせた継続的な育成につなげようとしているでしょうか。

今回ご紹介したセールス・レディネスは、単に研修を提供することで満足するのではなく、知識やスキルが身についた「準備」のできた状態を作り、顧客の前で知識・スキルを発揮することまでを目指さなければならない、ということを改めて問題提起している。そのように捉えるべきだと思うのです。

参考:
Effective sales readiness in 2022」(Nytro.ai Inc., 2022)
What is Sales Readiness? (And Why it Matters)」(Chris Lynch, Mindtickle Inc., June 29, 2021)
What Is Sales Readiness — And Why Should You Care?」(Jim Ninivaggi, Forbes Business Development Council, February 20, 2018)