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「従業員満足度が顧客満足度に直結する」という話も聞かれるなど、従業員に満足して働いてもらえる職場づくりが重要視されています。組織や業務に対する従業員の共感と貢献意欲を高める「従業員エンゲージメント」という言葉を聞いたことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

今回はアメリカで開催されたHR系のカンファレンス「UNLEASH AMERICA 2023」から、従業員に満足して働いてもらえる職場づくりに関する新しいコンセプト「従業員価値提案」(エンプロイー・バリュー・プロポジション)をご紹介します。

営業/マーケティング分野で「価値提案」(バリュー・プロポジション)というコンセプトがあります。これは顕在化する前の顧客の課題に対し、新たな価値を提案していくものですが、それがHR領域でどのように進化したのか、そしてその具体的な内容がどのようなものなのか、一緒に見ていきましょう。

UNLEASH AMERICAで大盛況だった「組織文化とパーパス」会場

UNLEASH AMERICAでは「Talent(人材開発)」「Learning & Skills(育成)」「Hire(採用)」などのテーマ別に講演会場が分かれていて、その中でも特に盛況だったのが「Culture & Purpose(組織文化とパーパス)」。パンデミックなどによって働く意味を改めて考え直す人や組織が増えていることもあるのでしょう。また、日本でも話題になっている「パーパス経営」の影響もあったのだと思います。

今回ご紹介する講演は、この「組織文化とパーパス」会場で聞いた「The Winning Formula for Workplace Culture: Fostering a High-Performing and Profitable Environment」。日本語に訳すと「職場文化の勝利の方程式:成果を上げ利益を出す職場環境を育てる」で、主なテーマは職場文化の変革、カルチャー・トランスフォーメーションの進め方についてでした。

従業員に提案・提供すべき3つの主要な価値とは

講師は、アメリカでクレジットカードの発行や個人向け融資に取り組んでいる、Discover Financial Service社(以下、「ディスカバー社」)のジル・コルン氏。その講演の「従業員にとって価値ある職場文化を作るために」というパートで出てきたのが、冒頭でご紹介した「従業員価値提案」だったのです。従業員を集めて維持するために、ディスカバー社が従業員に提案・提供すると決めた3つの主要な価値は以下の内容でした。

  • 成長意欲を喚起する
  • 意義を感じられる仕事を与える
  • くつろげる環境を提供する

3つの価値の中で特に印象的だったのが、1つ目の「成長意欲を喚起する」でした。同社は従業員のすべての学習を支援するとして、米国在住の従業員なら入社初日から書籍や外部の研修など学習に関するすべての費用を会社が負担するとのこと。また、Discover College Commitmentという制度を設け、何らかの理由で四年制大学を卒業できなかった従業員に全額会社負担でオンラインの大学に通える制度を設けており、毎年十名前後の社員が課程を修了しているそう。その社員が本社の大講堂に招かれ社長と育成担当役員から表彰され、豪華な食事を一緒に食べている様子も紹介されていました。

従業員価値提案の要諦はそれをすべての瞬間で「体験」できること

ここで注意しなくてはならないのは、単に「うちには早期に昇格できる制度がありますよ」「うちの会社はSDGsに取り組んでいて環境報告書を作成していますよ」というように、社内の制度などを一方的に説明するだけではないということです。

大切なのはそこで提供できる価値を従業員が体験できること。オンライン大学の課程修了者を本社の大講堂に招いて努力を讃えるイベントなどは、価値を体験する例の一つだと言えるでしょう。

このため、コルン氏が従業員価値提案について一番強調していたフレーズがこちらです。

フレームワークで浸透させるのではない。すべての瞬間の、すべての人の言動の1つ1つによって浸透させるのだ。
(Lead in Moments, Not in Framework)

よくある社是社訓やクレド(信条)などのように、見栄えの良いパワーポイント資料を作って額に入れて掲げたり、パスケースに入るサイズのカードを作って首から提げたりして終わりにするのではなく、全員が常に意識し実践していて、その価値が体験できるものでないと意味がないということなのです。

日本でも「満足して働き続けてもらえる職場環境づくり」は重要な課題

パンデミック以降のアメリカでは、給料が高かったり成長を実感できたりする「働きが報いられる職場」や、リモートワークができるなど「働きやすい職場」、そしてESGやパーパス経営などの「働き甲斐のある職場」へと、多くの従業員が転職する「グレート・レジグネーション」が進行しています。そのような中、優秀な従業員を獲得・維持するためには、従業員価値提案という考え方は確かに有効だと思います。

そして、これは日本も例外ではないと思うのです。「自分が早期に成長できると思えないから辞める」「社会に価値のある仕事じゃないから辞める」若手の存在が、ニュースや書籍で取り上げられることが増えています。また、マイナビ社が昨年実施した「新入社員の意識調査(2022年)」では、新入社員の半数以上(51.0%)が10年以内の退職を予定しているというデータも出ています。従業員に満足して働き続けてもらえる職場環境づくりは、日本でも重要な課題なのです。

「従業員価値提案」は「従業員エンゲージメント」と何が違う?

この従業員価値提案は、以前から言われている「従業員エンゲージメント」とは何が違うのでしょうか。

従業員エンゲージメントは、組織の理念や目的に対する従業員の共感度合いや貢献意欲のことなので、従業員が主語・主体となっています。この共感度合いや貢献意欲を高めるために企業がどうするかというところは、それぞれの企業に任されている状態です。

今回ご紹介している従業員価値提案は、企業が主語・主体となり自社で働くことで得られる価値を従業員に提案・提供しようというもの。そのため、従業員エンゲージメントを高めるための企業側の有効な打ち手の1つになりえるのではないでしょうか。

営業/マーケティングのコンセプト・経験は、人材育成や職場の環境づくりに相通じる

私がこの「従業員価値提案」を面白いと思ったもう1つの理由が、冒頭でも触れたように「価値提案」(バリュー・プロポジション)という営業/マーケティング分野で生まれたコンセプトがもとになっているからです。価値提案の対象を顧客から従業員に変換したことでHR領域の新しいコンセプトとして生まれ変わり、日本ではまだあまり知られていませんが、海外では1つのトレンドとなっています。

営業/マーケティング分野に存在するコンセプトの「顧客」を「従業員」や「社内外のパートナー」に置き換えることで、HR領域、特に従業員が働きたくなる職場づくりのヒントが得られるようになる。これは営業やマーケティングに携わっている方々が培ってきた経験が、人材育成や職場の環境づくりに役立つということを意味します。考えてみれば、「相手(顧客、従業員)をその気にさせて動かし、長く続く関係を構築する」のは、営業でもHRでも同じですよね。

UNLEASH AMERICAで組織文化とパーパスについての講演を聞いていたら、思いもよらず営業/マーケティングとHRとのつながりを知ることになりました。これからも「営業/マーケティングと関連のあるHRのコンセプト」が出てくると思いますので、見つけたらこの場でご紹介していきます。ご期待ください。

参考:「The Winning Formula for Workplace Culture: Fostering a High-Performing and Profitable Environment」(Jill Coln, Discover Financial Service, Unleash America 2023, April 27, 2023)