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世界規模のカンファレンスに行くと、その業界で何十年もの経験を積んだグル(長老)と呼ばれるような人の講演を聴けることがあります。今年(2023年)4月に開催されたHR業界トップクラスのカンファレンス「UNLEASH AMERICA」で私が遭遇した一番のグルは、エリオット・メイジー氏でした。
メイジー氏は人材育成業界で50年以上の経験を有し、業界の生き字引とでもいうべきコンサルタント。1990年代に世界で初めて「eラーニング」という概念を開発したことでも知られています。特にテクノロジー分野での人材育成に造詣が深く、AmazonやGoogleなどのグローバル大企業75社が参画している「Elliott Masie Learning COLLABORATION」という団体を主催するなど、今でも活発に活動しています。
また、ブロードウェイミュージカルのプロデューサーとしての一面も持っており、「キンキーブーツ」「ザ・プロム」「アナスタシア」「パリのアメリカ人」など、演劇が好きな人なら一度は聞いたことがある作品を数多く手がけてもいます。
今回はこのメイジー氏の講演をもとに、企業における人材育成がどのように変化しているのか、そして現在の人材育成に求められる課題が何かを確認していきます。人材育成におけるトレンドを手短に把握したい方、トレンドに即した人材育成の手法に興味をお持ちの方はぜひお読みください。
人材育成業界の変化①「圧縮化」と「フォーマット変化」
メイジー氏の講演タイトルは「Unleashing Innovation on Learning: What’s Next?」(育成革命を解き放て!次に来るのは何か)。人材育成業界で起きている変化のトレンドを俯瞰し、これから何が求められるのかを解説していました。
まずは、最近の人材育成業界のトレンドからみていきましょう。
・圧縮化:学習ボリュームはより小さな要素に、受講者は団体から個人に
・フォーマットの変化:コース学習から実践形式に
「圧縮化」は学習ボリュームと受講者の規模の2つに対して起きている変化です。2泊3日の研修といった長丁場の研修は少なくなり、1時間から1時間半程度のリモート研修や30分程度の動画視聴になるなど、学習ボリュームがよりコンパクトに圧縮される傾向があります。また、大勢のグループで一緒に共同作業するのではなく、個人で視聴しワークに取り組む形式が主流になりつつあります。
学習ボリュームが圧縮化されるのと併せて、フォーマットも変化してきました。例えば、私が2002年にプロジェクトマネジメントに関する研修を受けたときは、毎週土曜日に午後半日の研修を2か月近くかけて受講したように記憶しています。しかし、現在各社が提供している研修を見ていると長くても2日間までで、1日で完結するものも多数。中には、数時間の動画だけというものもあるようです。このように、体系立てられたコース形式の学習から、より実践的でポイントを絞った学び方へと、学習のフォーマットも大きく変化しています。
人材育成業界の変化②「研修&テストの常態化」と「コンテンツ爆発」
続けて、学習のサイクル/スピードについての変化です。
- 研修の常態化:15分前後の動画視聴など、コンパクトな学習コンテンツを用いて、毎日学習するように
- テストの常態化:動画視聴後の理解度テストなど、毎日何かしらのテストを継続的に受けるように
- コンテンツ爆発:分類するのが困難になるほどの、大量かつ多様なコンテンツが発生
短時間の動画を視聴して数問の理解度テストを解くといった「マイクロラーニング」が日本でも主流になりつつありますが、まさにこのことをメイジー氏は指摘しています。そして、日々何かしらの学びを提供していくことで、途方もない数/種類の研修コンテンツが組織の中を流通するようになっており、それが企業の育成担当者の悩みの種になっているとのことです。
本社が研修を開発・提供するのではなく、各部署に人材育成機能を持たせよう
研修がコンパクトで実践的になり、オンライン参加や動画視聴だけで済むようにもなっていて、さらにはマイクロラーニングのように短サイクルでスピーディーに多くの研修を提供するようになっている現在のトレンドを踏まえた上で、講演の最後にメイジー氏はこれからの人材育成には以下の内容が求められると述べていました。
人材開発部や研修部が研修を開発・提供するのではなく、組織の各部署に人材育成能力(コンピテンシー)を持たせよう。
そのために、外部のパートナーを育てるのだ。
それぞれの部署で実践的に使える研修を、短サイクルでスピーディー、いわゆるアジャイルに開発・提供・評価・改善していくのは、本社のHR部門では難しい。だから、各部署が自分たちで研修を開発し提供できるように、その部署のマネージャーやメンバーを育成・支援するのが本社HR部門の仕事なのだというのです。
実践的でアジャイルな人材育成のためには各現場による研修開発・提供が不可欠
ある企業の営業マネージャー向けの研修を、本社人事部のメンバーと一緒に設計・開発・運営したことがありました。普段は、事業部内の営業推進スタッフと一緒に実際の商品や業務に合わせた内容で設計しているのですが、本社人事部と設計したときは3つの事業部を横断で実施することに。そのため、事業部によって異なっている詳細の手順や使用するツールには踏み込まず、3事業部に共通して使える考え方や手順を教えることにとどめざるを得ませんでした。
新入社員研修や新任管理職研修といった階層別研修、コンプライアンス研修などの全社的な研修であれば、汎用的ですしアジャイル性を求められませんから、本社人事部に任せるのが効率的です。しかし、営業向けの研修となると、部署によって商品も売り方も使用するマネジメントシステムも、何から何までもが異なってきます。そのため、本社HR部門は現場に合わせた大量の研修を開発・提供しようとするのではなく、各現場が自ら研修を開発・提供できるように育成・支援しようというメイジー氏のメッセージは、実に理にかなっていると思います。
また、日本企業ならではの課題として、従業員の学習意欲をどう高めるかというものがあります。本社人事部が品揃えとして研修メニューをいくら充実させても、自分から進んで受講する人が多くないのです。
このような課題についても、現場のマネージャーや部長といった上司が旗を振って研修を開発・運用することで、学習しなければならない状況に従業員を置き、結果的に組織全体の学習を進められるようになる可能性が高まります。人材育成能力を現場に持たせることで、日本企業ならではの「自ら学ばない従業員」という課題の解決につながるのではないでしょうか。
自分たちの営業活動を言語化・型化し、カタチにしてくれる外部パートナーと組む
では、どうすればそれぞれの現場で主体的に研修を開発・提供できるようになるのか。そのために必要なのは、自分たちの営業活動で目指す姿、大事なポイント、必要なスキルを言語化し、だれもが再現できるように型化することだと思うのです。先ほどお話した企業では、事業部内の営業推進スタッフがまさに人材育成の機能を果たしています。自社の営業に必要な職務要件を定義し、営業活動のベストプラクティスを社内で集め、その手順やツールを整備して型化し、それを身に付けられる研修を設計・開発・運営しているのです。
とはいえ、実績数字の取りまとめやSFAなどの社内システムの開発など、営業推進スタッフがやらなければならないことは山ほどあります。そのため、職務要件の整理や、社内での情報収集、手順やツールの型化のアイデアの磨き込み、そしてそれらをベースとした研修資料の作成や、業務中に参照できるプレイブック/マニュアル作成など、片手間で取り組むには時間がかかり過ぎて完成させるのが大変な部分を、私がお手伝いしています。それによって、新商品の発売開始やコロナ禍による営業活動のリモート化といった変化に合わせ、短いサイクルで営業活動を継続的に進化させられているのです。
メイジー氏の「組織の各部署に人材育成機能を持たせよう。そのために外部のパートナーを育てよう」というコメントの中には、人材育成の進め方をどうしたらいいか考えてくれるという指南役だけでなく、営業現場だけではやり切れない部分を助けてくれてちゃんとしたカタチにまで仕上げてくれるサポート役としての「外部パートナー」が含まれているのではないか。そして、そのような外部パートナーを見極めて各現場に紹介することも、本社人事部にとって大事な仕事なのではないかと思っています。
今現在の人材育成能力の実情を確かめてみることから始めよう
人材育成業界を50年間見守ってきたグルの講演を聞いたことで、実践的かつアジャイルな研修開発・提供が求められていることがわかり、その帰結として各現場で自ら主体的に研修を開発・提供できる必要性があることが導かれました。
皆さんの営業現場には、研修開発などの人材育成能力があるでしょうか。また、その能力を補完・強化するために必要な外部パートナーは揃っているでしょうか。まずは、今現在の人材育成能力の実情を棚卸し、何が足りないかを考えてみる。「現場での人材育成能力強化」に取り組むために、現状を見定めることから始めてみてはいかがでしょう。
参考:「Unleashing Innovation on Learning: What’s Next?」(Elliott Masie, MASIE Center Inc., Unleash America 2023, April 26, 2023)